コンサルタント弁護士・籔本恭明(やぶもとやすあき)
コンサルタント弁護士・籔本恭明の「経営の視点」
このページには、籔本恭明の視点によるコラムを順次掲載します。
祝日の名称を正せ わが国の歴史や文化を尊重せよ(日本時事評論平成29年11月3日号から)
祝日の名称を正せ わが国の歴史や文化を尊重せよ(日本時事評論平成29年11月3日号から)
作成:2017年11月18日(土)
日本時事評論は、我が国の歴史や文化を尊重して、祝日の名称を改めるべきだと訴えている。
要旨
1 文化の日の11月3日は、近代日本の礎を築いた明治天皇の誕生日を祝うため「天長節」として祝日とした。
2 明治天皇崩御後に、11月3日を「明治節」として、天長節は4月29日とした。
3 勤労感謝の日の11月23日は、天皇が日本国民を代表して五穀豊穣と命の糧を授けて頂いたことに対する神への感謝を捧げる「新嘗祭」であった。
4 戦後、GHQが日本弱体化方針の下、神道や天皇に関わるものを国家行事から追放し、明治節に合わせて憲法を発布して文化の日とし、新嘗祭は宮中のみでの祭祀とした。
5 新嘗祭では、天皇陛下は、11月末の寒さの厳しい中で、冷たく硬い板床の上で何時間も正座したままで、日本国の繁栄と日本国民の幸せのため、祈り続けておられる。
6 このような天皇陛下のお姿を後世に伝えていくためにも、新嘗祭の意味を伝えていくべきだ。
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狙われる認知症高齢者の財産 成年後見制度の監視機能の強化を(日本時事評論平成29年11月3日号から)
狙われる認知症高齢者の財産 成年後見制度の監視機能の強化を(日本時事評論平成29年11月3日号から)
作成:2017年11月18日(土)
日本時事評論は、青年後見制度の監視機能の強化を訴えている。
(要旨)
1 成年後見制度における後見人として選任された弁護士や司法書士が、被後見人の財産を不正利用や横領する事件が急増している。
2 後見人が、家族の共同財産を勝手に処分する例もある。
3 後見人の監視機能が不十分である。
4 後見人の財産処分に複数の被後見人の親族の同意を必要とするなど、後見人の権限制限まで踏み込んだ制度改革が必要だ。
5 国民が知っておくべき対策法として、①後見人が家庭裁判所に提出する書類等を閲覧する、②不審な点があれば家庭裁判所に監督処分請求する、③家庭裁判所に解任請求を提出する。
7 判断能力が低下する前に自分の意思を書き記しておくなど、第三者が被後見人の意思を確認できるようにするべきだ。
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遺骨の尊葬こそ社会秩序維持の基礎 残骨灰処理に関する法整備を急げ(日本時事評論平成29年11月3月号から)
遺骨の尊葬こそ社会秩序維持の基礎 残骨灰処理に関する法整備を急げ(日本時事評論平成29年11月3月号から)
作成:2017年11月18日(土)|更新:2017年11月18日(土)
日本時事評論は、政府は残骨灰処理に関する法整備を急ぎ、国民は遺骨の尊葬こそ社会秩序維持の基礎であることを再認識すべきだと訴えている。
要旨
1 残骨灰の処理は自治体が費用を負担し、処理業者に委託して処理してもらい、埋葬、供養する。
2 しかし、一部の自治体では、残骨灰を業者に売却している。
3 残骨灰には金歯など有価金属があるため、業者が買い取っているが、遺族への説明は不十分である。
4 そもそも残骨灰は故人の体の一部であったので、死者に対して不遜な行為である。
5 業者が有価金属以外を投棄するおそれもあり環境上の問題がある。
6 残骨灰の処理には厚労省の通達があるが罰則がない。
7 残骨灰の売却を認めない等規則を整備し、罰則を定めるなど法整備を急ぐべきだ。
8 遺骨の尊葬こそ社会秩序維持の基礎であることを再認識するべきだ。
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我が国のテロ対策は不十分 訓練と情報交換に自衛官や警察官の派遣を(日本時事評論平成29年11月3月号から)
我が国のテロ対策は不十分 訓練と情報交換に自衛官や警察官の派遣を(日本時事評論平成29年11月3月号から)
作成:2017年11月18日(土)|更新:2017年11月18日(土)
日本時事評論では、テロ対策の強化の必要性を訴えている。
要点
1 東京オリンピック・パラリンピック開催を控えて、我が国でテロの脅威は高まっている。
2 アメリカ軍事大学、Ravens Challengeなど、テロ対策を学べる機関があるが、我が国の自衛官や警察官の参加はない。
3 こうした訓練プログラムに参加して、知識、技術の習得とともに人的関係を築くべきだ。
4 フランスのパリ同時多発テロ事件の際、非常事態宣言発令によって令状なしの捜査・拘束によって新たなテロ計画を防止できた。
5 重大テロ発生時の自衛隊出動を迅速化するための組織や体制整備と訓練が必要だ。
6 原子力発電所などの警備は自衛隊の管轄とするべきだ。
7 テロ関連の情報収集体制強化のためにも、対外情報機関創設は不可欠だ。
8 テロ等準備罪では電話やメールの通信傍受ができないので、テロの未然防止は困難だ。
9 テロ準備行為時点で検挙できるようテロ防止法を新設するべきだ。
10 なにより国民の監視の目が重要で、不審人物に気が付けば、速やかに警察に通報するべきだ。
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プラトン美学とアリストテレス芸術哲学の止揚に視る日本的経営の可能性
プラトン美学とアリストテレス芸術哲学の止揚に視る日本的経営の可能性
作成:2017年9月25日(月)
プラトンによると、現世の現実は、イデアの世界の影に過ぎません。
このように考えると、芸術は、神、真理、イデアの世界から遠いものと位置付けられます。
もちろん、プラトンが「国家」で述べた詩人追放論は、当時のギリシャの人々が日常の指針にしたホメロスを、そのような扱いをするべきではないという注意を喚起する意図があったという説があることも存じております。
しかし、この説を踏まえても、プラントの考え方によれば、芸術は、神やイデアから遠い存在ということになります。
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自助、互助、共助、公助、これだけでよいのか。
自助、互助、共助、公助、これだけでよいのか。
作成:2017年6月17日(土)
コンビニ、外食、製造業、いずれも人手不足が頭痛の種だ。
スーパーのセルフ・レジは日常のものになっているし、コンビニのセルフ・レジも本格的に導入されるだろう。
人口減少の時代のまっただ中にある我が国で、人手のかからないオペレーションはますます必要とされる。
行政においても、人手のかからないオペレーションがますます必要になる。
もちろん、行政のIT化も不可欠である。
さらに加えて、自警団、消防団を、もう一度「日常のもの」にすることが必要なのではないか。
市町村レベルの地方自治においても、議員は無報酬を原則として、別に本業を持ち、勤務後に議会で審議を尽くすことが普通になってもいいと思う。
自警団、消防団、地方議員の無報酬化は、自助、互助、共助、公助のうち、「互助」に当たると思うがあまり議論されていない。
おそらく、「自助、互助、共助、公助」はそれぞれ「困っている人を助ける」という観点から整理されていて、「公共のための責任」という視点が欠落しているからではないか。
公共である社会が持続可能であるためには、将来の構成員に対する責任がなくてはならない。
今生きている人間を尊重するという視点からだけでは、未だ生まれていない未来の子孫に対する責任という観点は生まれない。
今生きている人を助けるだけでなく、未来の子孫のために何ができるかを考える必要がある。
その精神を涵養するためにも、自警団・消防団の再構築、地方議員の無報酬化はもっと議論されてもいいはずだ。

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業界団体の新しい役割
業界団体の新しい役割
作成:2017年6月17日(土)
規制緩和が進むと、業界団体の役割が終わる。
確かに、これは一般論として成り立つように思える。
先日、大前研一氏の勉強会で日本交通のUber対策の話を聞いた。
Uberは、クラウドを利用した「配車アプリ」で利便性を向上し世界のライドシェア業界を席巻している。
かつては、我が国のタクシー業界もUberに飲み込まれるのではないかと恐れられた。
これに対し、日本交通の川鍋氏は、子会社のJapanTaxiの社長に就任し「全国タクシーアプリ」を開発し、日本交通以外のタクシー会社も巻き込んでUberによる業界衰退を防衛できた。
この事例から分かるように、規制緩和が進むと、巨大IT企業によるデジタル破壊が進むことがある。
そして、これに対抗して、顧客にさらなる付加価値を提供する枠組みを作る役割が業界団体に課せられることになる。
我が国の小売業が不振に陥っているのは、巨大Eコマースによる流通破壊の側面が大きい。
日本交通は、企業が煽動をとった事例ではあるが、規制緩和が進み、黒船の来航を受け入れたときにこそ業界団体の役割が大きいのではないか。

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民主主義を考える
民主主義を考える
作成:2017年6月13日(火)
「アリストテレスにおいて、デモクラティアとは、貧乏人がその他のものを犠牲にして自分たちだけの利益を収めるような政治形態を言うわけである。」(福田歓一「政治学史」45頁)
人権という概念にしても、人が生まれながらにして有する権利と定義づけたところで、現在でも、シリア人女性がお金で取引されている事例が後を絶たないが、そこでは人権が確保されていない。
そもそも人権概念は、国家の横暴を防ごうとする目的の機能的概念であって、「人が生まれながらにして有する権利」であると合意を取り付けることで、どうにか役に立つに過ぎない。
そのように扱われていない国や地域では、全く用をなさない。
現実に我が国で、人権を擁護する人々の多くは、世界中で人権、すなわち、人が生まれながらにして有する権利が侵害されていても、その人たちを守るために立ち上がることなどせず、我が国の政府を攻撃することに最も精力を注いでいる人が少なくない。
これを非難しているのではない。
そもそも、人権というものは、政府批判のための道具であったという素性があったからではないか。
かつて、政治哲学は、神という根拠に根差していた。
神という根拠を否定してしまうと、人間が主役になる。
人間尊重というわけである。
しかし、この人間中心主義というものが大変いかがわしいものではないかと思うことがある。
人間というものは欲があり、この欲がある以上、人間中心主義は、欲と欲のぶつかり合いになるものだ。
ホッブズのリバイアサンを例に出すまでもなく、人間というものは、結構、利己的なふるまいをする。
このような利己的な人間を中心にしたとき、秩序というものをどうするのか。
政治を考える際に、根拠が必要である。
この根拠となるのは、やはり神であって、人間ではないように思う。
人間中心主義での民主主義とは、随分、血なまぐさいものであることを覚悟しなければならないと思う。

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医師の長時間労働
医師の長時間労働
作成:2017年6月2日(金)
残業時間の上限規制から、医師は対象外となる。
これは、医師法19条に「応召の義務」あるからだとされている。
医師は、正当な理由がなければ受診の申し出に対して断れないから、残業時間の上限規制になじまないというのだ。
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AI 世界制覇の攻防 日経ビジネス2017.05.22
AI 世界制覇の攻防 日経ビジネス2017.05.22
作成:2017年6月2日(金)
今や、AI(人工知能)の文字が新聞に現れない日はない。
日経ビジネス2017.05.22には、「最初にAIが普及したのは金融業界。株価や為替などの情報が数値データとして存在し、AIが理解しやすかったからだ。次の焦点は弁護士や医師などの専門職。判例や薬品の効能に関しては詳細な文書データが存在し、AIが判断しやすい。」と、弁護士・医師には恐怖を与えるような文章が並ぶ。
判例を調べ、同じような過去の判例を加工すれば、弁護士の仕事ができると考えられているから、このような記事になるのだろうが、確かにAIを使えば、弁護士業務も効率化できるだろう。
今でも電話会議等は相当活用が進み、逐一法廷に出ずに済むことは少なくない。
しかし、弁護士業務の効率化のためには、まずは、生体認証等を活用し、法廷に出なくても、事務所に居ながら、法廷に出たと同じような仕事ができるようにすることだろう。
次に、契約書の認証システムも進めるべきだろう。
さらに重要なことは、裁判所が単なる過去の判例を踏襲するだけではなく、社会ニーズを読み解いて、法創造機能を発揮して頂けるように促すような業務ができる法曹を育成することかもしれない。

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山口二郎先生の「問われる安倍政権の現実感覚」
山口二郎先生の「問われる安倍政権の現実感覚」
作成:2017年6月2日(金)
週刊東洋経済2017.5.20号に、山口二郎先生の「問われる安倍政権の現実感覚」が投稿されている。
山口先生は、「北朝鮮の核とミサイルの開発を非難することは、誰しも異論はない。しかし、相手が粗暴な独裁国家だといっても、攻撃で日本が壊滅しては取り返しがつかない。多少の攻撃を受けても敵国をたたき潰す力を持つ米国と、通常兵器の攻撃で壊滅する日本は、立場がまったく異なる。」と論じている。
山口先生が現実的である点は、我が国が北朝鮮から攻撃されても、米国は日米安保条約に基づいて北朝鮮を攻撃しないことを前提としている点だ。
山口先生の論考を進めれば、我が国が敵国を叩き潰す力を獲得するべき、つまり、我が国も核武装するべきということになる。
しかし、現実的に、米国が我が国の核武装を許容するとは思えない。
そこで、NATOで実施されているように、我が国と米国とが核をシェアすることが選択肢に上がってくる。
山口先生は、「攻撃させないことこそ日本の安全確保の唯一の道である。」と断言している。
そう考えると、我が国と米国がニュークリア・シェアリングすることが唯一の現実的な選択肢になるのではないか。
もし安倍政権の現実感覚に疑問を持っているとするなら、安倍政権においてニュークリア・シェアリングについて未だ議論すら始まっていないことに対する苛立ちが背景にあるのではなかろうか。

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教育無償化
教育無償化
作成:2017年5月25日(木)
教育無償化については、大学までの教育を無償化する考え方、幼児教育を無償化する考え方等、同じ「教育無償化」でも統一したものはない。
教育無償化の財源については、
第一に、税金で賄う。
第二に、教育国債で賄う。
第三に、こども保険で賄う。
以上の三案が主なものである。
第二の教育国債は、毎年かかる教育財源を順次次世代の負担に先送りし続けることになるので、問題外であろう。
第三のこども保険は、企業の競争力を阻害し、同時に労働者に負担を強いるものなので、経済界の賛同は得られないのではないか。
そうすると、税金を財源とすることになりそうである。
しかし、本来は、教育に関して家族が第一義的に責任を負うべきものではないか。
そもそも、教育無償化の論議は、少子化対策として沸き起こったものである。
そうであるなら、まずは、「子供を産み、育てることは大切なことなのだ」と価値観を示すことから出発するべきではないか。
経済的な援助をすれば子供を産むだろうと考えるのは短絡的に思える。
少子化の原因が、第一に、女性の晩婚化、第二に、核家族化、第三に、子供を育てるより自由を重んじる価値観、第四に、子育ての経済的負担等が考えられる。
そうだとするなら、子供を育てる大家族主義を国是として、複数世代で同居する家庭に固定資産税を軽減するなど経済的なインセンティブをつけることが、第一歩とするべきではないか。
大家族主義を国是に掲げることに抵抗を示す人がいる。国家が家族に関する価値観に介入するべきではないというのである。
しかし、少子化自体をネガティブなものとすることは、まさしく、国家が家族に関する価値観に介入することなのである。
国民国家は、その持続を求める。
持続を可能にするためには、その構成員である国民が、順次生まれてくることを望むことは当然である。
少子化対策を議論する際に、家族というものに対する価値観を国家が肯定的に示し、これに対して税金等でインセンティブをつけることは、とても合理的なことなのである。

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日経ビジネス2017.05.15号 第4次「食」革命
日経ビジネス2017.05.15号 第4次「食」革命
作成:2017年5月24日(水)
日経ビジネス2017年5月15日号は、「第4次食革命」を特集している。
そもそも、革命とは「天命革まる」とする易姓革命からきている言葉で、大変血なまぐさい言葉であり、雑誌の表紙に使うべきものではない。
この「革命」という用語を乱用するのは、世の中が騒がしくなる要因となる。
このことを注意して、記事の内容を振り返ってみる。
記事では、食の世界が変わる理由として次の6つを掲げている。
1)2050年には世界人口が90億人になることが見込まれるが、この人口のタンパク質の需要に対して家畜からのタンパク質では賄えない。
2)畜産に必要な水と穀物の量を比較すると、穀物を育てる場合と比べて、牛は10倍の資源を使う。つまり、動物性タンパク質は環境負荷が大きい。
3)2000年以降に成人した所謂ミレニアル世代は、健康や環境への意識が高い。
4)2014年以降、原油価格が下落しており、その分のマネーが食に流れ込む。
5)食品と含む消費財分野で大企業のイノベーションは停滞気味で、シェアは新興企業に奪われている。
6)遺伝子組み換え技術や情報技術の革新が食物分野にも波及してきている。
これらを眺めると、我が国の課題が見えてくる。
第一に、水資源の確保である。
イザヤ・ペンダサンではないが、我が国では「水と安全はタダ」という信仰がある。
しかし、水の供給源である山林の所有権が、裏で外国人にわたっていると報道されて久しい。
もう一度、外国人による土地所有に対する法制度を検討することが必要ではなかろうか。
第二に、我が国の若年層は、健康に対する意識は低い。
平成25年度の厚労省の調査によると、朝食の欠食率は、男性が14.4%、女性が9.8%となり男女ともに20歳代が最も多かった。運動習慣については男女ともに30歳代が一番低くかった。
女性においては、やせている成人女性の割合が12.3%と過去最高となっているが、30代や40代でもやせている人が増えてきている。
むしろ、社会に役に立つ必要性を教育しなければ、健康でいることのモチベーションは上がらない。
第三に、遺伝子組み換え食品に対するアレルギーが強い。
世界人口90億人の時代にむけて、遺伝子組み換え食品なしにやっていけるのか、真剣に考える必要がある。
このような課題を明確にしたうえで、新しい解決策の萌芽が見えてきているようにも思える。
ウェアラブル端末で、健康管理をする習慣は、一部の層(若年層に限らない)で確立してきている。
食については、何を食べるか、だけではなく、どのように食べるか、いつ食べるか、何を食べないのか、が重要になってくる。
食は、習慣の問題であるので、これらをウェアラブル端末だけで管理するには、現状では限界があると思われる。
むしろ、「家族」の機能を十分に確立することが重要であると思われる。
子供に対する教育だけでなく、親に対する教育、「親学」が必要とされなければならない。
食の問題を扱うのに、家族の機能に触れないのは、いかにも日経ビジネスの姿勢かもしれない。
しかし、家族の機能を強化するとともに、親学を普及させることが、健康寿命を延ばし、国家としての生産性を高めることにつながると思う。

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憲法は権力の濫用を防ぐためだけのものか
憲法は権力の濫用を防ぐためだけのものか
作成:2017年5月7日(日)|更新:2017年5月7日(日)
トマス・ホッブズは、近代国家をリバイアサンと呼びました。
リバイアサンとは、旧約聖書のヨブ記に出てくる怪物のことです。
ホッブズは、著書『リヴァイアサン』において、人間が自然権を思い思いに行使する状態を「万人の万人による闘争」であるとし、その混乱を避けるためには自然権を国家(=リヴァイアサン)に委譲する必要があるとして絶対王政を擁護しました。
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諸橋茂一著「日本が世界の植民地を開放した」(高木書房)
諸橋茂一著「日本が世界の植民地を開放した」(高木書房)
作成:2017年1月25日(水)|更新:2017年2月13日(月)
昨今、中国政府がアパグループCEO元谷氏が「南京大虐殺は虚構である」という趣旨の文章を書いた本を、元谷氏らが経営するホテルに置いていることに関して批判している。
本来、外国政府から我が国の国民の言論活動に対する妨害があれば、これに抗議することが政府の責務であると考える。
蓋し、国家は国民の幸福追求権を確保する責務があるからである。
また、外国政府から我が国の国民の言論活動に妨害があったのであれば、我が国のメディアは総力を挙げて、外国政府に抗議するべきであるが、現時点ではそのような様子は見られない。
これを見ても、我が国のメディアは、国民の人権を確保する意欲に欠ける。我が国のメディアには、言論の自由を語る資格はないと言ってよい。
さて、今回、問題になった南京大虐殺についてであるが、諸橋茂一氏がその著書「日本が世界の植民地を開放した」の中に、南京大虐殺に関する記述がある。
同著61頁から80頁にかけて、南京大虐殺が虚偽である証拠が64個列挙されている。
今回のアパグループ代表に対する言論弾圧事件を契機に、南京大虐殺が虚構なのか否か、我が国で広く議論が展開されることを期待して、極一部だけ引用する。
(「南京大虐殺」が「真っ赤な嘘である」証拠の数々)
1.まず、「『南京大虐殺なること』に関する『犠牲者名簿なるもの』は唯の一人分も無い。」
(上海大学歴史学部・朱学勤教授による。平成19年12月20日付け産経新聞)。この1点だけで捉えても「南京大虐殺なること」が如何に荒唐無稽な作り話であるかは既に立証された様なものである。(仮に、「南京大虐殺」なることが真実であるならば、「30万人」という数字の何割かの「犠牲者名簿」が存在しないはずがない。)
2.「南京大虐殺」の犠牲者は、「30万人」ということになっているが、日本軍が南京を制圧した昭和12年12月13日当時、南京市内には、約20万人の民間人しかいなかったという記録があり、併せて、約1か月後、昭和13年1月14日の時点では、人口が約5万人以上増えて、約25万人~30万人になっていたという「南京安全区国際委員会記録」が残っている(田中正明著「南京事件の総括」29頁)。
3.日本軍が南京を占領する約1か月前、昭和12年11月より翌年の9月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米のマスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、宣伝工作を続けていた。そして、その回数は延べ300回に及んだという。処が、当時、国民党は「南京大虐殺」などということを一度も言ったことが無かったという。何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わなかっただけである。仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかったであろう。
4.昭和13年当時、中華民国の顧維均代表が国連(国際連盟)で、「南京で日本軍が約2万人の民間人を虐殺し、数千の(婦女)暴行があった。」と演説した(日本非難決議を出そうとした)処、(何を馬鹿な事をいっているのだと)誰も相手にしなかった(「南京事件の総括」91頁~93頁)。
5.日本軍が占領した南京には、日本のマスコミ関係者だけで約120人、欧米も入れると約200人ものマスコミ関係者が入って取材活動を続けていた。処が、当時、国民党と繋がっていた極一部の、後述する者二名を除き、南京で大虐殺が有ったという報道をしたものは誰もいなかった。もしも当時、南京で大虐殺が行われていたならば、多くの南京在住のマスコミ関係者が、其の事を大々的に報道しないはずがなかったであろう。日本側関係者の中には、マスコミ関係者以外に、大宅壮一や西条八十、草野心平、杉山平助、木村毅、石川達三、林芙美子等々、多くの日本人ジャーナリストや作家が陥落直後の南京を訪れて見聞記を書いていた。しかし、それらの人々の(中の)誰一人として、「南京大虐殺見聞記」を書いたとか、或いは、「大虐殺に関する証言」をしたという事実はない。
 万が一に、「大虐殺」なる事が有ったならば、それらの人達の中で、唯の一人もそのことに触れていないなどということはあり得ない(渡部昇一著「かくて昭和史は蘇る」287頁)(田中正明著「南京事件の総括」123頁)
6.当時の南京にはロイター、AP、UPIといった、世界の大通信社や新聞社の特派員達が多数駐在していた。「仮に南京大虐殺なる事が有ったならば、何故、当時の国際社会の中で(大きな)問題とならなかったのか」(「かくて昭和史は蘇る」288頁)
7.南京陥落後二か月間の事件を完璧に記載しているという、南京大学教授・スマイス著「南京安全地帯の記録」の中の「市民重大災害記録」によると、問題の最初の三日間の記録として、「13日は、婦女暴行と掠奪が3件、14日は殺人1件、婦女暴行4件、掠奪3件、15日は殺人4件、婦女暴行5件、掠奪5件である。」とある。しかし、誰が目撃したか明記されていない。南京陥落から三日間、市民殺害の明確な目撃は1件も無かったことになる(「新・地球日本史「南京大虐殺は存在せず」」)。
8.昭和13(1938)年7月、表向き「マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員」であったハロルド・ディンパーリ―が、「戦争とは何か―中国における日本軍の恐怖」をロンドンとニューヨークで出版した。その中の最初の4章は、南京の外国人が友人達に出したという「匿名」の手紙で構成され、「二日もすると、度重なる殺人、大規模で半ば計画的な掠奪、婦女暴行…」「完全な無政府状態が支配しており、さながらこの世の地獄だ」「4万人地殻の非武装の人間が…殺された」と書いた。処が、前項のスマイス並びにティンパーリ―共に、中国国民党中央宣伝部に雇われていた人間(ティンパーリーは同宣伝部顧問)であったことが明らかとなっている。しかも、スマイスとティンパーリーが書いている内容には非常に大きな乖離がある。双方共に全く信憑性は無い。しかも、ティンパーリーは当時、南京には居らず、上海に居たのである(「南京事件の総括」97頁)。
これらの証拠が縷々64個も出店を明確にして整理されている。
(半藤一利氏「昭和史」と偕行社「南京戦史」)
一方で、南京で虐殺があったことを肯定するような言論もある。
例えば、大ベストセラーになった半藤一利氏「昭和史1926-1945」(平凡社)198頁には、「そのなかで平成元年(1989)に旧日本陸軍の集まりである偕行社が『南京戦史』を出版し、そのなかで旧陸軍にとって不利になりかねない記録や手記も隠さず、中国側の公式記録『南京衛戍軍戦闘詳報』なども加え、ていねいに書きつらねて、次のような結論を出しました。」として、
『「通常の戦闘による中国軍将兵の戦死者(戦勝病死者を含む)約三万人」これは戦闘行為によるものゆえ問題にはなりません。
「中国軍将兵の生存者(渡江、釈放、収容、逃亡など)約三万人」これは無事に南京錠から逃げることができたわけですから、オミットできますね。そして、
「中国軍捕虜・便衣兵などへの撃滅、処断による死者約1万6千人。一般市民の死者約1万5千7百60人」
 ちなみにこの「撃滅、処断」とは、敗残兵に対する攻撃、市民にまぎれこんだ中国兵の掃討、さらには捕虜暴動の鎮圧などを指しています。これと市民の死者の数を合わせたものが、問題の数になるわけです。けれども『南京戦史』は、この人数のどれだけが戦闘行為による死が虐殺にあたるのか、というところまでは記していません。が、これらすべてがいわゆる不法な行為によって殺されたとすれば、3万人強がその数ということになりましょうか。」
とある程度の規模の虐殺があったかのような記載をしている。
しかし、一方で、半藤氏は、同著199頁で、「ただ、中国側が言うように三十万人を殺したというのは、東京裁判でもそう言われたのですが、ありえない話です。当時、南京の市民が疎開して三十万人もいなかったし、軍隊もそんなにいるはずはないのですから。」
ここで明確にしなければならないことは、半藤氏ですら、中国側がいう南京大虐殺は虚偽であることを明言していることである。
また、半藤氏は、同著199頁で、「昭和13年1月、作家の石川達三が中央公論から南京に特派されて行っています。前年12月に起きた南京事件は終わっているのですが、それでも相当数の虐殺が行われているのを彼は目撃しています。それを小説「生きてゐる兵隊』として発表すると直ちに発禁となり、執行猶予付きですが懲役刑を言い渡された。それを読んでも、南京で日本軍がかなりひどいことをやっていることがわかります。」とあたかも南京大虐殺があったかのような書きぶりをしている。
しかし、田中正明氏の「南京事件の総括」112頁には、石川達三は、「私が南京に入ったのは入場式から二週間後です。・・・大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません。」とあり、半藤氏の推測は当を得ていないと言える。
また、偕行社の「南京戦史」において「中国軍捕虜・便衣兵などへの撃滅、処断による死者約1万6千人。」と認定されていること自体に疑問を感じる。
(偕行社「南京戦史」の中国兵捕虜について)
戦闘員が降伏しただけでは捕虜ではない。
戦闘員が降伏して、かつ、敵軍の司令官が捕虜として受け入れる合意ができてはじめて捕虜となるのである。
双方の合意が成立していない場合には、戦闘員を戦争で殺しても合法である。
また、合意が成立しているか明確でない場合には、戦闘員を戦争で殺すことは国際法上違法とは言えない。
そもそも南京が陥落した時点で、双方の合意が成立した捕虜がどれほどいたのか疑問である。
蓋し、蒋介石が後を任せた軍司令官・唐生智は、南京が陥落する前に逃亡していたのであって、捕虜に関する合意が成立していたはずはないのである。
唐生智は、南京陥落前に、自分だけ逃亡したのであるから、そもそもシナ軍は正式に降伏することはできなかったはずであるし、捕虜に関する合意を締結できたはずはない。
したがって、偕行社の「南京戦史」の捕虜に関する記述をにわかに信じることはできないし、これを引用した半藤氏の推論も信じることは困難である。
すなわち、軍司令官が逃亡したので、南京陥落時には捕虜はいなかったと考えることが論理的だと言える。
(偕行社「南京戦史」一般市民の死者について)
南京が陥落しそうになったとき、南京市民は南京錠ないの安全地区に集められた。
南京陥落時に、大虐殺が行われた記録は存在しない。
もし、安全地区内で大虐殺があったなら、死体を処理しなければ、到底耐えることができない臭いがしたはずである。
しかし、そのような記録はない。
このように考えると、南京市民に対する虐殺はなかったと言わざるを得ないのではないか。
いずれにしても、今回のアパホテル代表に対する言論弾圧事件を契機にして、南京事件が本当にあったのかについて議論が盛り上がることを切に望む。
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