コンサルタント弁護士・籔本恭明(やぶもとやすあき)
経営の視点
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民主主義を考える
民主主義を考える
作成:2017年6月13日(火)
「アリストテレスにおいて、デモクラティアとは、貧乏人がその他のものを犠牲にして自分たちだけの利益を収めるような政治形態を言うわけである。」(福田歓一「政治学史」45頁)
人権という概念にしても、人が生まれながらにして有する権利と定義づけたところで、現在でも、シリア人女性がお金で取引されている事例が後を絶たないが、そこでは人権が確保されていない。
そもそも人権概念は、国家の横暴を防ごうとする目的の機能的概念であって、「人が生まれながらにして有する権利」であると合意を取り付けることで、どうにか役に立つに過ぎない。
そのように扱われていない国や地域では、全く用をなさない。
現実に我が国で、人権を擁護する人々の多くは、世界中で人権、すなわち、人が生まれながらにして有する権利が侵害されていても、その人たちを守るために立ち上がることなどせず、我が国の政府を攻撃することに最も精力を注いでいる人が少なくない。
これを非難しているのではない。
そもそも、人権というものは、政府批判のための道具であったという素性があったからではないか。
かつて、政治哲学は、神という根拠に根差していた。
神という根拠を否定してしまうと、人間が主役になる。
人間尊重というわけである。
しかし、この人間中心主義というものが大変いかがわしいものではないかと思うことがある。
人間というものは欲があり、この欲がある以上、人間中心主義は、欲と欲のぶつかり合いになるものだ。
ホッブズのリバイアサンを例に出すまでもなく、人間というものは、結構、利己的なふるまいをする。
このような利己的な人間を中心にしたとき、秩序というものをどうするのか。
政治を考える際に、根拠が必要である。
この根拠となるのは、やはり神であって、人間ではないように思う。
人間中心主義での民主主義とは、随分、血なまぐさいものであることを覚悟しなければならないと思う。

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