コンサルタント弁護士・籔本恭明(やぶもとやすあき)
経営の視点
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憲法は権力の濫用を防ぐためだけのものか
憲法は権力の濫用を防ぐためだけのものか
作成:2017年5月7日(日)|更新:2017年5月7日(日)
トマス・ホッブズは、近代国家をリバイアサンと呼びました。
リバイアサンとは、旧約聖書のヨブ記に出てくる怪物のことです。
ホッブズは、著書『リヴァイアサン』において、人間が自然権を思い思いに行使する状態を「万人の万人による闘争」であるとし、その混乱を避けるためには自然権を国家(=リヴァイアサン)に委譲する必要があるとして絶対王政を擁護しました。

時代は遡って、古代ローマ帝国崩壊後、中世のヨーロッパは、封建領主が群雄割拠する状態になりました。
この時代の国王は、封建領主の仲裁役として単なる「同輩中の首席(primus inter pares)」に過ぎませんでした。
国王は領主との関係では「契約」に制限されていましたし、農奴は領主の持ち物であり国王の直接の支配下にはありませんでしたし、何より国王自身が慣習法の制約下にありました。
しかし、1096年から始まった十字軍の遠征で貨幣経済が発達してきたこと、1348年前後からのペストの大流行により農奴が減少したため農奴の存在に希少価値が出てきたことから、封建領主の没落が始まります。
そこで、都市の商工業者の経済的支援を受け常備軍を整備していった国王が権力を高めていきます。
やがて近代絶対主義国家における主権概念の確立に至るわけです。

佐藤幸治先生の「日本国憲法論」では、「近代市民革命は、国家(公)に対して個人の自由の領域(私的領域)の存在を設定し、かつそれを積極的に評価し、国家(公)はこの私的領域の確保のために存在理由があり、したがって国家の活動もそのような目的のために制限されると捉えるところに本質をもち、そのための具体的方策として憲法の意義が明確に自覚され、そのあり方をめぐる認識が深められるところとなったのである。」とのべられています。
このように社会契約論に基づいて憲法が制定された。
これが教科書的な説明かと思います。

しかし、現実は、近代市民革命後、ナポレオン没落後ウイーン体制という絶対王政は復活しましたし、そもそも、社会契約自体がフィクションだと言えます。
もちろん、現行憲法は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
と社会契約の思想が記されていますが、我が国の憲法制定の経過を鑑みて、このような社会契約があったというのは全くの嘘です。
憲法において権力の濫用を防ぐことは重要でしょうが、国家の組織・構造の基本、所謂、国のあり方を定めることが本質であって、この本質を失ってはならないと思うのです。
この「国のあり方を定める」という意味においては、聖徳太子の十七条憲法も立派な憲法であると思うのです。

私が学生時代に教わった小室直樹先生も「聖徳太子の十七条憲法は、国家権力を縛るものではないので憲法ではない。」また「憲法は国家権力を縛るのが目的だから、義務の規定をことさら明記する必要もない。」とおっしゃっていたと記憶しております。
しかし、聖徳太子は佛教を学んでいらっしゃいました。
太子は勝鬘経義疏を著していらっしゃいます。
煩悩の根源である無明が執着を生み、この執着を取るには菩提智が必要である、と説いていらっしゃいます。
佛教哲学から考えると、心(意)が根であり、ここから言葉(口)、行動(身)が生じてきます。
こうすると、国家権力を行使する権力者を縛るには、心から無明を取り除くことが必要だと考えることは極自然なことと言えるでしょう。
つまり、佛教哲学を前提とすると、国家権力を行使する権力者を縛るには、その「心」から執着を取ることが求められるのです。
したがって、十七条憲法も立派な憲法と言えると思うのです。

また、国家のあり方を示すために「国民の義務」を明記することは問題ないでしょう。
国家のあり方を示すには、
国家が、するべきこと、した方がよいこと、してはならないこと、しない方がよいこと、
国民が、するべきこと、した方がよいこと、してはならないこと、しない方がよいこと、
これらを示すべきでしょう。
さらに、現在の福祉国家においては、国民の人権を実現する主体は、国家でもあるのですから、夜警国家的憲法観に縛られてはならないと思うのです。
したがって、憲法に国民の義務を明記してもよいと思うのです。

いままで様々な政治体制がありました。
資本主義のみならず、共産主義にも腐敗、汚職はあります。
腐敗、汚職は人の欲から生じるものではないでしょうか。
こう考えると、国のあり方を定める憲法に、治者のあるべき心掛けが示されることは望ましいと言うこともできます。

いずれにしても2020年に憲法改正の国民投票が問われることになりそうです。
憲法は権力の濫用を防ぐためだけのものではなく、同時に、国のあり方を定めるものである。
憲法改正に向けて、この基本的な認識を共有することが大切だと思うのです。

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