コンサルタント弁護士・籔本恭明(やぶもとやすあき)
経営の視点
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事業承継(その37)同族ゆえのコンフリクト
事業承継(その37)同族ゆえのコンフリクト
作成:2016年5月22日(日)
事業承継(その37)同族ゆえのコンフリクト
 ファミリー企業の課題として、同族ゆえのコンフリクトの問題があります。
 ファミリー企業には、意思決定の迅速性、エージェンシーコストの低さ、大胆な意思決定の可能性等、長所があることは既に述べましたが、同族であるが故のコンフリクトをどのように回避、軽減、解決するかが、持続的成長の成否を決定づけます。
聖書の「創世記」において、神ヤハウェはカインの供え物を無視し弟アベルの供え物を喜びます。カインは、このことに嫉妬して、弟アベルを焼き殺しました。
少し古い統計ですが平成20年度犯罪白書によると、加害者と被害者の関係について、親族等が占める割合は、殺人では48.1%と多いのです。近しいが故に激しい嫉妬や憎しみが生まれるとも言えるでしょう。愛の裏側は憎しみであり、同じコインの表と裏と考えれば両者はまさに表裏一体の関係にあると言えるのです。
政治学の概念で相対的価値剥奪というものがあります。貧困は苦です。食べ物が食べられないほどの絶対的貧困は、もちろん苦と言えます。このような絶対的貧困の状態を脱却して食べ物が食べられる状態であっても、比較対照群と比べて貧しいことが苦となるのです。正しいことか否かは別として、人は、他人との比較によって、苦楽を判断するものです。
かつて、ヤマハ音楽教室が盛んであったころ、近所でエレクトーンを購入したと聞けば、わが子のためにエレクトーンを買ってあげようと多くの親たちが競い合ったことが少なくありませんでした。
相対的価値剥奪は、近親の者との差が認識された場合に、その度合いは大きくなります。
企業内で処遇の違いは、近親間の平等感を損ね、時に愛は憎しみに変わることもあります。
企業の原理は競争ですが、家族の原理は和と言えます。
競争によって生じる格差が、相対的価値剥奪を産み、家族の和を歪ませることは十分にありうることだと思うのです。
和は、論理の問題というより情の問題といってよいでしょう。この情が判断を歪ませることがあると思うのです。

戸主という裁定権者の不在
かつてのように、戸主の権限が絶対的で、長子単独相続が当然に考えられていた時代なら、同族内でのコンフリクトについては、戸主の権原を発動することにより、比較的解決可能であったかもしれません。
かつては、戸主が同族内コンフリクトの裁定者として機能していたと言えるでしょう。
しかし、戦後「イエ」が解体され、平等に相続されることが原則になりました(民法900条)。
「イエ」の解体により、家長・戸主が持っていた強力な決裁権限が脆弱になってきた現代において、この種のコンフリクトはさらに深刻なものにならざるを得ません。
本来、融和・和合・癒しが機能するべき「イエ」は、家長・戸主という絶対的裁定者を失いました。絶対的は権限を持つものがいなくなったとき、個人の独断で決めるのではなく、ルールによって決定されることになりますが、絶対的自治的存在であるファミリーにおけるルールが整備されていなければ、必然的に混乱が生じることになります。

ファミリー内部の争いは深刻
ファミリー企業ではヒエラルキーができているので、社内で争いが生じにくいことがファミリー企業の長所であると述べました。
この長所の裏返しで、ファミリーメンバー間で、既存のヒエラルキーを揺さぶるコンフリクトが起こった場合、または、既存のヒエラルキーが問題を生じている場合、企業の活力は大きく削がれます。
大塚家具の例を観ても、ファミリーは株式を保有しているのが通常なだけに、非ファミリーのコンフリクトよりファミリーのコンフリクトの方が深刻さを増します。

一澤帆布
一澤帆布は、1905年に京都で創業した自転車の布のカバンの製造販売の会社です。
2001年に三代目の一澤信夫氏が亡くなりました。
信夫氏の遺言書(いわゆる「第1の遺言書」)の内容は、信夫氏の株式のうち、67%を一澤帆布の仕事を信夫氏と一緒にしていた三男の信三郎氏らに、33%を四男・喜久夫氏に、銀行預金のほとんどなどを銀行員であった長男・信太郎氏に相続させるというものでした。
ところが、長男の信太郎氏が預かったという遺言書(いわゆる「第2の遺言書」)の内容は信夫氏保有の会社の株式80%を長男の信太郎氏に、残り20%を四男・喜久夫氏に相続させるというものでした。
信三郎氏は信太郎氏が保有する「第2の遺言書」の無効確認を求め提訴しましたが、裁判で敗訴しました。
今度は、信三郎氏の妻が原告となって、信太郎氏らを相手に、遺言書の無効確認と取締役解任の株主総会決議の取り消しを求めた訴えを提起しました。
京都地方裁判所の一審判決では、信三郎氏による訴えと同様に、請求は棄却されました。
しかし、2008年大阪高等裁判所は、原判決を取り消し、遺言書は偽物で無効と認定し、信太郎氏らの保有する株式だけでは株主総会の定足数を欠き、手続に瑕疵があるため、信三郎氏らの取締役解任を決定した2005年の臨時株主総会の決議を取り消す、原告側逆転勝訴の判決を言い渡しました。
2009年最高裁判所は、この大阪高裁判決を支持し、第2の遺言書は無効で、信三郎氏らの取締役解任を決定した株主総会決議を取り消すとの判決が確定した。2009年7月6日に、信三郎氏・恵美氏夫妻が代表取締役に復帰しました。

グッチ
家長のグッチオ・グッチ(1881~1953)はイタリアの皮革職人の息子でした。
若い頃にパリとロンドンを旅して、手の込んだ職人の仕事、気品あるファッションセンスこそが商売になると考えました。
なかでも持ち主のテーストとステータスをアピールするようなバッグを女性たちは探し求めていることを見つけました。
1920年に帰国して借金をしてショップを開き、そうした革製品を売り出すと、たちまち成功を収めました。
1923年にGUCCIの店名を掲げました。息子たちも仕事に加わり、数十年もかけてイタリア各地に支店を設け、海外にも進出しました。
 家長のグッチオが事業を取り仕切っていましたが、彼が亡くなると、子供たちや孫たちの遺産相続争いが続きました。
2代目パオロ・グッチが死ぬと、甥のその甥マウリツィオ・グッチがパオロの子供たちに働きかけ、結果的に株式を独占しました。
グッチオの孫マウリッチオの別れた妻は、殺したいと思うほど前夫を憎んでいました。彼女は執事にむかって、前夫を亡き者にしてしまいたいわと漏らしてしまいました。
殺し屋たちが、マウリッチオを銃殺しました。殺し屋は、別れた妻を脅しにかかりました。(デビッド・ランデス「ダイナスティ」参照)
株式は、結局アラブ資本に買い取られてグッチ家は経営から締め出されました。

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