コンサルタント弁護士・籔本恭明(やぶもとやすあき)
経営の視点
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事業承継(その30)養子制度を活用した事業承継
事業承継(その30)養子制度を活用した事業承継
作成:2016年5月10日(火)
事業承継(その30)養子制度を活用した事業承継
鹿島家―鹿島
 鹿島は、日本のゼネコン大手五社(鹿島建設、竹中工務店、清水建設、大林組、大成建設)の一つです。
 1840年、鹿島岩吉の創業に始まります。この時の屋号は「大岩」でした。
 1880年、二代目鹿島岩蔵が鹿島組初代組長となり、1918年に着工した丹那トンネルを始め、鉄道建設を広く請け負って会社を発展させました。
 しかし、岩蔵は男の子に恵まれませんでした。ここから鹿島の婿取りが始まります。
 岩蔵は、東京帝国大学を卒業し、逓信省鉄道作業局官僚となっていた葛西精一を長女・いとと結婚させ養子としました。 1930年、精一は三代目社長に就任します。
 この精一も男の子に恵まれませんでした。精一は、東京帝国大学を卒業し外務省官僚となっていた永富守之助と1922年に船上で出会い、1925年にドイツから帰国した守之助を何度も外務省に出かけ説得し、1927年ついに、長女・卯女と結婚させ養子としました。守之助は、1938年、四代目社長に就任します。五代目社長となったのは卯女でした。
 守之助と卯女は一男三女を儲けたましたが、東京大学を卒業し、商工省官僚となっていた渥美健夫を長女・伊都子と結婚させ、後に建夫は六代目社長に就任します。
 同様に、東京大学を卒業し、運輸省官僚であった石川六郎を、二女よし子と結婚させ、後に六郎は七代目社長に就任します。
 同様に、東京大学を卒業し、外務官僚であった平泉渉と三女・三枝子と結婚させました。平泉渉は、衆議院議員となります。
 八代目社長となったのは、守之助と卯女の間に生まれた男子である鹿島昭一です。
 石川六郎は、渥美建夫六代目社長の息子で中曽根康弘元首相の娘婿でもある渥美直紀を社長にしたかったようですが、鹿島昭一が同族にこだわらない姿勢を見せたためか、非同族の中村満義専務が社長に昇格することになりました。(有森隆著「創業家物語」参照)
 このように東大卒を婿にとり同族による経営を維持してきましたが、同族でなくてもよかろうという姿勢を示したとたんに、ファミリー経営の終焉を迎えます。
 ファミリー企業の経営を継続するためには、「ファミリーで経営する意志」が重要なファクターであることがわかると思うのです。

にんべん 
 元禄12年(1699)創業、会社設立大正7年の鰹節のにんべんは、非上場企業です。
 にんべんの商標である“イ”の文字は創業時の屋号である「伊勢屋伊兵衛」に因み、堅実な商売を意味する鉤型と合わせているといわれています。
 「にんべん」という商標は江戸時代から使われていたということです。
 にんべんは、12代当主の高津伊兵衛会長まで、4代、6代、8代、9代が養子です。
中庄
 中庄は、1783年に紙屋庄八が創業した紙卸商の非上場企業です。
 中庄は家釧で後継者は養子に限るとうたっています。
 このように、江戸時代から養子によりファミリー企業を維持していた例は多く見られます。

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