コンサルタント弁護士・籔本恭明(やぶもとやすあき)
経営の視点
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事業承継(その6)会社は誰のものか
事業承継(その6)会社は誰のものか
作成:2016年4月5日(火)
「会社は誰のものか」これは、議論になるテーマです。
「誰のもの」という質問自体、誰の所有を聞いているのか、誰の支配を聞いているのか。
バーリーとミーンズの「所有と経営の分離」を真に受けるとすると、株主が所有し、経営者が支配するということになりそうです。
所有とは法や規範に基づくものであり、支配とは実態に基づくものと言えそうです。
法や規範に照らして、使用・収益・処分できる「権原」を持っているなら「所有者」と言ってよいでしょう。
実態に照らして、支配している実体があるなら、「支配者」と言ってよいでしょう。
確かに、当然に会社は株主のものではあるとする説もあります。
保険会社の会長を務めるミッシェル=アルベールが、著書「資本主義対資本主義」の中で、次のように整理しています。
アルベールの分類によると、資本主義には、大きく分けて「アングロサクソン型資本主義」と「ライン型資本主義」があります。
「アングロサクソン型資本主義」では、基本的に、会社は株主のものであると考えます。
「ライン型資本主義」では、基本的に、会社は株主のものとは考えません。
アングロサクソン資本主義は、短期収益、株主、個人の成功を優先します。
ライン型資本主義は、長期的な配慮、資本と労働を結びつける社会共同体としての企業を優先します。
アルベールは、両者を対比して、金銭を至上とするアングロサクソン資本主義では、カネがすべての道德を一掃すると断罪します。
アルベールは、アングロサクソン型資本主義とライン型資本主義と対比して、1980年代の初めから心理的、政治的に勝利を収めているのは前者であり、発展しつつある国々の経済の進歩の重要な原動力になっていることを認めています。しかし、アングロサクソン資本主義を賞賛するのと逆の立場に立って、これが政治的に勝利しているのは、「悪貨が良貨を駆逐」しているからだと指摘しています。
つまり、アルベールは、会社は株主のものだというアングロサクソン型資本主義が主流を占めているのが実態であるが、この考えは規範的にはよろしくないと考えています。
それでは、わが国の株式会社法では、会社は誰のものと考えているのでしょうか。
現在の株式会社法の考え方では、少数株主は直接的に会社を処分できなければ、どの程度の果実を得ることができるか決めることもできません。
このように、株主の所有権は、通常の「物に対する排他的・直接的支配権」としての所有権ではなく、団体法理によって修正されているのです。
自益権(大雑把に言うと、配当や残余財産をもらう権利)および共益権(大雑把に言うと、経営に参加する権利)という形に変形された持ち分によって、間接的に会社を所有しているにすぎないのです。
わが国の株式会社法では、株主は、会社の直接の所有者ではないのです。
会社法105条1項は「株主は、その有する株式につき次に掲げる権利その他この法律の規定により認められた権利を有する。一 剰余金の配当を受ける権利 二 残余財産の分配を受ける権利 三 株式総会における議決権」と規定しています。
この条文が意味するところは、会社は直接的に株主のものではなく、団体法理により修正を受けた株式を通じて、間接的に株主のものであるにしかすぎないのです。これが、わが国の株式会社法です。
そして、このような間接的な支配を、通常の意味での「所有」とは言わないのです。
創業家が経営に参画している企業の多くでは、必ずしも同族が議決権ある株式の過半数の株式を所有しているとは限りません。
しかし、そのような場合でも、多くのファミリー企業では、創業者ファミリーメンバーが経営に参画し、その主導権をとるのが正当なものと考えられている場合がほとんどです。
「会社は誰のものか」という問いに対して、株主は間接的な所有者であるが、支配しているのは株主とは限らず、むしろ社長が会社を支配しているのが一般的なのです。
このように考えていくと、たとえ、株式が市場に分散していても、支配しているのは会社の社長であるといえるのです。
奥田碩氏、張富士夫氏、渡辺捷昭氏の非同族社長が続いた後、豊田章男氏がトヨタ自動車の社長に就任したのは、創業家ファミリーメンバーが経営に参画することが正当化される理由が存在するからです

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